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演奏会雑録帳
2001年以前に行った演奏会の感想です。本体記事と重複してるものもあります。
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1995(平成7年)
(エフゲニー・スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団)

5月21日:サントリーホール

チャイコフスキー/交響曲第5番
リャドフ/魔法にかけられた湖
スクリャービン/交響曲第4番「法悦の詩」


 この演奏会。とにかく最後の「法悦」がすべてでした。N響の援軍も含めて増大された管楽器をもったロシア国立響が、最後ホール全体を「音」のみで完全に埋め尽くしたその様は、10年前に聴いたオーマンディやムラヴィンスキーの壮演の数々を思い出させる、圧倒的な超大名演となりました。それにしてもこのとんでもないくらいの力技というか豪腕ででおしきったような演奏でありながら、音量や音圧が凄いだけでなく、ちゃんと音そのものも濁らず、しっかり響かせることのできる指揮者であることを実証したスヴェトラーノフとロシア国立のコンビ。この演奏を聴いた時、やはり指揮者とオーケストラの関係は一朝一夕には出来ないとあらためて痛感したものでした。

 (が、この数年後このコンビが崩壊し、そして20世紀が幕を閉じたとき、ほんとうにひとつの時代が終わったような気がしたものでしたし、その後朝比奈と大阪フィル、ヴァントとNDRのコンビも消え、さらにその感を強くしたものでした。)

 この演奏時、コーダに入る前の一瞬の空白時に、「ブラーヴォ」という小さな声が聞かれました。後で聞くとこれはスヴェトラーノフの声だったという話を聞きました。おそらく一線を越えたあまりの素晴らしさに思わず声を漏らしてしまったのでしょう。あれはこの指揮者の集大成ともいえる恐るべき演奏でした。ですが、その凄絶な演奏にもかかわらず、この演奏のベースはやはり自然体とも古典的ともいえる造形とバランスのたしかさだったという気がします。この指揮者はいかなる部分でもどんな爆演でも、絶対自分を失わない、強い自制力も持ち合わせているという気がしました。

 この指揮者の演奏に「大きさ」とともに「強さ」を感じるのはそういう部分があるからなのかもしれません。スヴェトラーノフは私たちが想像する以上に「強い」部分を根底にもつ指揮者だったような気がします。だからこそ苦難にみちた時代にも耐えうる音楽を形成し、それが多くの人達に忘れ難いほどの人生肯定の姿勢に基づいた音楽を聴かせることとなり、聴く人達に大きな歓びと活力を与えたのでしょう。


●エフゲニー・スヴェトラーノフ/その思い出と記録。そして雑感。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page344.html
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