演奏会雑録帳
2001年以前に行った演奏会の感想です。本体記事と重複してるものもあります。
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1986(昭和61年)
(セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルハーモニー)

10月13日:神奈川県民ホール

シューマン/交響曲第4番
ムソルグスキー/展覧会の絵


10月14日:昭和女子大人見記念講堂

シューマン/交響曲第4番
ムソルグスキー/展覧会の絵


10月22日:サントリーホール

ブルックナー/交響曲第5番


 ロンドンSOとの80年の来日公演以来6年ぶりの来日となりました。それにしてもこの年はいろいろ話題の公演がありました。クライバー指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団。ヨーフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ。ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文化省。シュタ
イン指揮バンベルク交響楽団。9年振りに来日した、ショルティ指揮シカゴ。11年振りのフェドセーエフ指揮モスクワ放送。ウィーン国立歌劇場&PO。(ラインスドルフ、ホルライザー、シュナイダー、シノーポリ、バルビゾ、マゼール等の指揮。)、マリス・ヤンソンス指揮レニングラードPO、小澤指揮ベルリンPO、等々。とにかくたいへんな年でしたが、このチェリビダッケとミュンヘンPOの公演はその中でも最大の話題のひとつでもありました。

 この公演はそれまでのチェリビダッケの日本公演以上の、というよりチェリビダッケの日本での評価を決定的なものとしました。それはこの指揮者の巨大さや透明感が端的にあらわれたというだけでなく、この指揮者の本当にいいたかった事というのが、今まで以上に明確に提示されたからです。これはチェリビダッケとミュンヘンPOがきわめて素晴しい関係にあったからこそ可能だったと思います。

 
10月13日:神奈川県民ホール

シューマン/交響曲第4番
ムソルグスキー/展覧会の絵


 この時の演奏、特に「展覧会の絵」は以前の「ローマの松」を思わせる圧倒的なものでしたが、このときシューマンの第2楽章でけっこう大きな地震にみまわれました。客席は一瞬ざわめきましたが、指揮者は悠然と我関せずといわんばかりに指揮をつづけ、それをみていたらこち
らも急に落ち着いていったものでした。



10月14日:昭和女子大人見記念講堂

シューマン/交響曲第4番
ムソルグスキー/展覧会の絵

このときは二日続きで同じプログラムを聴いたのですが、最初の神奈川県民ホールではシューマンの第二楽章でけっこう大きな地震がありました。動揺しざわつく聴衆を背にまったく同ぜず指揮をしていたチェリビダッケ。その姿をみていたら、自分も含めて聴衆全員から地震への動揺が急速に失せていったものでした。今更ながら凄い存在感と有無を言わさぬ説得力の持ち主です。

 この県民ホールでは自分は一階で聴いており、シューマンはややボソボソとした音響だったのですが、第三楽章から第四楽章への移行時の凄さや、時間も音楽も進んでいるのに、まるで音楽だけが静態しているような瞬間を創り出していた終楽章は、翌日の人見公演より生々しかったという記憶があります。もっとも二日目の人見では二階で聴いていたこともあり、もう少し豊かに響いていたような記憶がありますし、まとまりは人見の方が上だったかもしれません。

 ただし後半の「展覧会の絵」は、両日とも以前の「ローマの松」を思わせる程圧倒的なもので、「カタコンブ」の強烈な緊張感と凄み、そして信じ難い程ものいう弱音の素晴らしさもさることながら、特に仰ぎ見るような壮大無比の「キエフの大門」には、完全に圧倒されつくしてしまったものでした。



 余談ですがこの年は5月にも、ゴンチャロフ、チーホノフ、ポリワノフという猛者揃いだったフェドセーエフとモスクワ放送による同曲の爆発的な猛演がありましたが、そういえばこの公演も人見でした。聴いていた場所も二回のやや左側だったこともあり、まったく正反対の「展覧会」をほぼ同じ状況で聴けたのはじつに貴重な体験でした。(このモスクワ放送公演はNHKによるTV&FM中継がありました。)

 因みにこのとき二日目の人見公演。そんなに当時の雑誌評はよくありませんでした。時代は変るものです。


10月22日:サントリーホール

ブルックナー/交響曲第5番


 この日本公演の最終日、10月22日サントリー・ホールで行われた唯一ブルックナープロ。これはきわめて感動的な演奏となり、当夜の聴衆を完全に圧倒しつくてしまいましました。

 ホールをでるとき「こんな神かがったブルックナーは聴いたことがない」という声が聴こえました。たしかにこれほどまばゆいばかりの崇高な輝きに満ちたブルックナーというのは私も聴いたことがありませんでした。特に、第2楽章と終楽章の最後の金管のコラールは、天上の高いところから響く福音のようにさえ聴こえたほどでした。

 この公演の大成功はその後の日本公演でチェリビダッケがブルックナーを集中的にとりあげる、大きな要因ともなりました。

 余談ですがこの公演はチェリビダッケが立って指揮した日本での最後の公演となりました。初来日の時もかなりゆっくりとした足の運びだったのですが、このときはもうかなり左の膝の状態が悪く、パンフレットには練習中指揮している時でも左膝を不自然に伸ばしている姿でそれは伺うことができました。

 演奏終了後の退場時のチェリビダッケの仕草はそのせいかかなり独特なものでした。つまりまず舞台をおりた後、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンの最前列の間に立って拍手を受ける(別に礼をするわけではない)そしてオケに座るように両手で合図をし座らせると、舞台袖に向かってゆっくり歩きはじめ、そして第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンの中間までくるとゆっくりとまた指揮台の方を向きオケを立たせる。そこでオケと拍手を受けるとまた両手で座らせる仕草をみせまたオケを座らせる。そして再びゆっくりと袖に向かうが、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンの最後列あたりまでくると、またそこでオケを立たせ拍手を受けたあと、また両手で合図をおくり席に座らせそして自らはそのまま袖に消えるといった具合でした。(時には同じ場所でオケを立たせ足り座らせたりを繰り返す場合もありました)

 これなどは膝との調子からきたものなのかもしれません。

 またチェリビダッケは以前から登場するときもなかなか登場せず観客を集中させてから登場し、指揮棒をおろすときも、観客席が完全に静かににり、それこそこちらの耳の底でキーンという音が聞こえてくるまでおろさないということがしばしばでした。これなどは本人の哲学なのでしょう。これに匹敵する指揮者は77年のベームくらいでしたがベームの場合は年齢的なものだったのでこれとは本質的に違うように感じました。(ただベームの77年に指揮したときはかなりのもので、オケのチューニングが終わり観客が静まったのになかなか出てこず、一時観客席
がざわつきだすといったことが、当時の放送から伺い知ることができます。これもあって登場時にあの爆発的な拍手と歓声が一段と大きくなったような気がするのですが…)

 ところで最近このときのCDを聴いたら演奏終了後5秒は続いたかと思われる沈黙がじつは2~3秒ほどだったことが判明し愕然。自分の記憶のいい加減さに幻滅すら感じたほどでした。じつに情けない話です。



●チェリビダッケの思い出
http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page215.html
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