演奏会雑録帳
2001年以前に行った演奏会の感想です。本体記事と重複してるものもあります。
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2001(平成13年)
(フイリップ・ヘレヴェッヘ/ロイヤル・フランダース・フィルハーモニー)

9月30日:すみだトリフォニー

ブルックナー/交響曲第9番[全4楽章版]


 全四楽章版による演奏ということで大いに期待した演奏。

 ヘレヴェッヘはじつはそれまで演奏会はおろかCDすら聴いたことがない指揮者でして、もう完全に予備知識なしの既成概念なしの一発勝負のものとなりました。

 ですがその演奏はたいへん見通しの良い、それでいてけっして食い足りなくなるようなことのない演奏で、オケも充分よくならし、スケールの大きさにも事欠かない立派なものとなっていました。

 演奏としてはシューリヒトのそれをさらに流線型にしたようで、重さはあまり感じられないものの、音楽の芯は意外と太いという印象を受けました。対抗配置の弦と後ろに並んだコントラバスの配置をみたのはじつはこのときがはじめてで、後にフェドセーエフやモンゴルのオケ、さらには本名さんが指揮されたニッポニカなどで何度もみることとにはなるものの、このときはやはりか以前にTVでみたことはあるものの、やはり実際に目にすると少なからぬ新鮮さというものを感じたものでした。

 この配置のせいでしょうか、コントラバスの響きがあたかもパイプオルガンのフットペダルのように、オケの中央から響いてきたのにはじつに見事な効果がありましたし、またその音がちゃんとした質感をもちながらも絶妙な柔らかさをもって響いていたこともまたこの演奏に則したもののように感じられました。

 それにしても終楽章、あの下降しながら奏でられていく壮大なコラール風のテーマはほんとうに神がかったものを感じてしまうのですが、これが実際に眼前に鳴り響いたときには、ほんとうに鳥肌がたってしまいました。また弦が常に苛立つように楽章全体を通して進み続けるようなその動きを聴いていると、ブルックナーがなぜ未完成のときは「テ・デウム」を代用してほしいといったのか、よくわかる気がしたものでした。

 たしかに終楽章の終結部に多少の物足りなさを感じる部分はあるものの、自分としてはこの演奏でのこの部分に関しては、以前聴いたものと比べるとあまり不満を感じることはありませんでした。おそらくそれはヘレヴェッヘが全体を通じて、特に終楽章においてその響きに「鉋(かんな)をかけた」ような部分があり、四楽章を通して聴いても、終楽章があまり原石そのもののような感触を受けないように奏で、バランスをとっていたためにそのように聴こえたと感じたものでした。

 そのためこの演奏から凄みや激しさに対して不足を感じた方もいらっしゃるとは思いますが、今回のこの曲の演奏に関してはそれでも自分はOKだと思いました。
 あとこの四楽章版にはかなり異議も異論も多いと思いますし、問題山積でしかもそれはよほどの新しい資料が発見されてこないかぎり、永久に解決されない部分をも含んでいると思いますが、自分はこの試み関しては決して暴挙でもなければ、無駄でもないと思います。

 ブルックナーはこの曲を全四楽章で演奏されることを強く望んでいました。
(第三楽章の最後が自身の交響曲第7番の第一楽章のテーマで終わっていることも、むしろこれからがこの曲においての核心部分であって、それがなければこの曲はまるで意味がない、といいたかったそのサインではないかという気がしたものでした。もちろんこの考えには何の根拠もないので想像の産物でしかないのであれなのですが…。)
 それを思うと本人の意志を無視して第三楽章で終わらせてしまうことや、未完の第四楽章、あの壮大無比なコラールが聴かれるこの楽章をそのまま捨て去ってしまうのは、やはり抵抗があります。これを慣例化しろとまではいいませんが、この試みをどんどん研究し推し進め、そして第三楽章までの演奏と平行して演奏されていくことを個人的には希望していきたいと思います。
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