演奏会雑録帳
2001年以前に行った演奏会の感想です。本体記事と重複してるものもあります。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1986(昭和61年)
(ヘルベルト・ケーゲル/東京フィルハーモニー)

11月14日:東京文化会館

フランツ・シュミット/「ノートル・ダム」間奏曲
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲(VN/サルヴァトーレ・アッカルド)
ストラヴィンスキー/「春の祭典」


 とにかくこの日の聴きものは「春の祭典」でした。まったくロシア的な匂いは皆無なものの、その巨大な蒸気機関車が眼前を轟轟と音をたてながらとおり過ぎていくような様は、あまりにも圧倒的で、特に第二部後半の「いけにえの踊り」で、オケが渾然一体となり狂騒にかりたてられていく場において、ケーゲルはなんとティンパニーを中心とした打楽器を抑制し、いつもはその影にかくれてしまう他の楽器の音を前面に打ち出してくるという手法を使用したため、ふだんは打楽器等の後ろにおいやられマスクされていたストラヴィンスキーの書いた音符が、いっせいに解き放たれたかのように舞台上に現れそのすべてが開帳されていく様は、あまりにも壮観であり、「この曲がこんなに壮大な曲であるとは今の今まできづかなかった」と思わされたものでした。

 (この演奏終了後、ケーゲルは万来の拍手に対し、譜面台に置いてあった「春の祭典」のスコアを左手で持ち上げ、右手で「この曲にも盛大な拍手を」といわんばかりに、スコアを指差し拍手をスコアにも与えていたのがとても印象的でした。後にケーゲルがサントリーホールでマーラーの「復活」を演奏した時も、同じような仕草をしていたので、これはこの指揮者の曲に対する畏敬の念のあらわれであったのかもしれません。)

 このやり方はある意味スイトナーがドレスデン国立とベルリン・クラシックスに録音した同曲と方向性が似通ってはいるものの、ケーゲルの方がオケのせいか、より徹底的に自分が主導権を握っているようなかんじが強くしたものでした。この「春の祭典」はほんとうに類稀な経験ともいえる、たいへん印象に強く残る素晴らしい演奏でした。

 尚、前半のシベリウスはアッカルドのヴァイオリンの素晴らしさもさることながら、バックをつけいてたケーゲルの剛直かつスケールの大きな音楽には、本当に感銘を強く受けてしまいました。シベリウスよりややブラームスといったほうがいいほどの線の太い演奏ではありましたが、聴き応えのきわめて強いものとなっていましたし、東京フィルもそのもてる力のすべてを発揮しているようでした。

 またアンコールには一曲目の間奏曲が演奏され、最初に演奏した時よりも素晴らしい演奏となっていました。
スポンサーサイト


リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



カテゴリー



カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。