演奏会雑録帳
2001年以前に行った演奏会の感想です。本体記事と重複してるものもあります。
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1994(平成6年)
(クルト・マズア/ニューヨーク・フィルハーモニー)

6月27日:サントリーホール
Rシュトラウス/死と変容
ローレム/イングリッシュ・ホルン協奏曲(EH/トーマス・ステイシー)
ベートーヴェン/交響曲第5番

7月4日:サントリーホール
モーツァルト/交響曲第36番
ブルックナー/交響曲第4番


 NYPOがマズアになったとき、その組み合わせに疑問を感じたのは自分だけではなかったと思う。今までいたオケがかのゲヴァントハウスだったことがあり、そのオケとイコールというイメージが強かったのが大きかったのですが、読売日響や過去のゲヴァントハウスを指揮した公演を聴いているとたしかな演奏を行っているので、ほんとうはもっと期待してもよかったのかもしれませんが…。

 ですがその後伝わってくるマズアとNYPOのことはいいことばかりで、中にはNYPOはかつての栄光を取り戻したという評すらあったほどで、これはたいへんなことになったと思ったものでした。自分はこのコンビの来日が決まってチケットが発売されるとすぐ購入したのしみに当日を待ったものでした。

 NYPOはこのとき対抗配置でちよっと驚いたのですが、それ以上に驚いたのが「死と変容」の冒頭に響いたおそろしく力強くしかも集中度の高い響き、こんなに重心の低い、しかも地力を感じる音がNYPOから出たことに正直驚嘆してしまいました。そしてそれはベートーヴェンにおいてもブルックナーにおいても無類の力を発揮していました。

 しかもオケの音は濁りが少なく、かつてNYPOはその弦や金管が酷評されたことがあったようですが、そんなことは完全に過去のものとなったという気がしたものでした。それはローレムの曲における爽やかな響きと、そこに感じられる美しい詩的な響きにもよくあらわれていました。

 またモーツァルトではかつてワルターがNYPOで同曲を指揮した録音を彷彿とさせる音質が感じられたりすることがあり、マズアが自分のことだけでなく、このオケの伝統的なものにも敬意を表しているように感じました。これは彼が何百年もの歴史をもつゲヴァントハウスで何十年もシェフを勤められた理由のひとつなのかもしれません。

 演奏はブルックナーなどは以前ゲヴァントハウスで聴いたマズアのそれとほぼ同じ解釈でした。この指揮者はその基本を変えることなく、ドイツとアメリカというまったく違う国の、古い歴史をもつ伝統あるオケで成功した指揮者となりましたが、そこにはアメリカにおけるクラシック音楽とヨーロッパに対する考え方というものが根深く横たわっているようにも感じられました。

 NYPOは現在前任者とはまったく違うタイプの指揮者がシェフとなりました。マズアのNYPO時代のそれきこれからいろいろと検証されていくのかもしれません。
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1983(昭和58年)
(クルト・マズア/読売日本交響楽団)

3月4日:東京文化会館

ハイドン/交響曲第94番
ブルックナー/交響曲第7番


 これがじつは意外にいい演奏、というよりかなりの名演になりました。読売日響から驚くほど重厚な響きを引き出した、スケールの大きなたいへん見事な演奏となりました。これはこの指揮者の快心の名演といってもいいほどの演奏でしたが、マズアはその後三番や四番は指揮するものの、後期の交響曲どころかこの七番すら取り上げなくなってしまいました。理由はわかりませんがこれがなんとも残念です。ぜひこの曲も含めて、ブルックナーの後期の交響曲を聴いてみたいとは思っているのですが…。

 尚、前半のハイドンも格調高い、重厚かつ推進力あふれる見事な演奏でした。

 余談ですが、ブルックナー演奏中に一階席で席を探して歩き回っているご婦人がいたのには少々驚きました。おおらかな時代だったのかもしれません。


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