演奏会雑録帳
2001年以前に行った演奏会の感想です。本体記事と重複してるものもあります。
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1986(昭和61年)
(オイゲン・ヨッフム/アムステルダム・コンセルトヘボウ)

9月16日:東京文化会館

ワーグナー/トリスタンとイゾルデ、前奏曲と愛の死
ブルックナー/交響曲第7番


9月17日:昭和女子大人見記念講堂

モーツァルト/交響曲第33番
ブルックナー/交響曲第7番


 ヨッフムはこれまでブルックナーを62年に5番、68年に4番、そして前回に8番を指揮していたため今回は7番ということになったようです。昭和女子大人見記念講堂での演奏会はNHKのTVとFMで放送され、特にTVはヨッフムのインタビューも一緒に放送されました。この時のインタビューを、ヨッフムは常に笑顔をたたえながら受け、「ブルックナーの7番の全曲の頂点は第2楽章のシンバルにある。」という興味深い発言等も行っていました。

 この86年の演奏は前回と同様圧倒的な名演となりました。特にブルックナーは圧巻で、終楽章のコーダに入る前の全合奏など、まるでオーケストラ全体がひとつの巨大なパイプオルガンのように鳴り響き、ホール全体を共鳴させたのには驚愕してしまいました。演奏時間も70分を大きく超える長大なものになったにもかかわらず、その密度の濃さは無類のものがあり、オーケストラの立ち上がりの巨大さなど空前とすら思えるものがありました。

 因みに、16日前半に演奏された「トリスタン」の素晴らしく透明感と深みにみちた音楽と、17日前半に演奏されたモーツァルトの明朗快活な生命感溢れる音楽とともに、たいへん素晴らしいものでした。

 こうしてこの公演は大成功に終わりましたが、不幸にしてこの日本公演最終日(大阪フェスティバルホールでの、9月26日の公演。)のちょうど半年後の3月26日。巨匠は惜しまれつつこの世を去ってしまいました。来日時のインタビューで「もう一度日本に来ていただけますか?」という問いかけに、「神様が私の健康を許してくれるのなら」という返事をしていたので、ある意味巨匠はこれが最後の公演になるかもしれないと、覚悟しての来日だったのかもしれません。たしかに舞台ではしっかりとした足取りで歩いてはいたのですが、演奏会が終わると一人で歩けない状態になったこともあったそうです。

 オイゲン・ヨッフムはある意味偉大な司祭だったような気がします。聴いた人々をすべて幸福にし、そしてより優れた存在とするような福音を、音楽をとおしてふりまいていったような気がします。80年以上の人生の積み重ねの上になりたち、そしてそこから多くの人々に福音を与えてくれた司祭オイゲン・ヨッフム。亡くなられた時にNHKはその年のはじめに放送した前年のACOとの演奏会とインタビューを再度そのまま放送し、その冥福を祈りました。


●ヨッフムの思い出
http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page176.html
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1982(昭和57年)
(オイゲン・ヨッフム/バンベルク交響楽団)

9月15日:NHKホール

ブルックナー/交響曲第8番

演奏会当日NHKホールは満員となりました。公演が近付くにつれこの偉大な指揮者の名前が次第に底力を発揮したようでした。指揮台には椅子が置いてありベームが82歳でも立って指揮していたことを思うと、「ヨッフムは体調が悪いのか」と、開演前に妙に気になったものでした。この時自分はあえて三階の中央後方の席をとりました。それはこの場所で五年前に、ベーム、ショルティ、ムラヴィンスキーを聴いた場所であり、それらと同一状況で聴いてみたいという気持ちあったからです。

 オケが登場した後、ヨッフムが登場(この時巨匠は舞台に向かって右側から登場したような記憶がありますが、他公演だったかもしれません)。この時の雰囲気はベームやムラヴィンスキーとの時のそれと違い、ごく自然な雰囲気で登場し万雷の拍手を浴びて登場し、そしてオケに向かってふりむき指揮台の椅子に腰掛けました。

 第一楽章冒頭部。飾り気の無い、それこそ質実剛健な木造建築のような、しかも充分練込まれたような音が鳴った時、正直驚いてしまいました。このようなある意味ローカルとも形容したいような音というのに、この時初めて接したからなのかもしれません。ただそれは最初だけで、すぐこの演奏の持つただならぬ雰囲気と、厳粛な儀式のような趣、そして激しい気迫のようなものな圧倒されてしまいました。

 第一楽章終了時、ひょっとしたら自分はとてつもない音楽の創造に立ち合っているのではないかという思いがし、突然もの凄い緊張感に襲われました。第二楽章はそのような気持ちで聴いていたのですが、楽章終了後ものすごく自分が情けなくなってしまいました。というのはこのほとんど圧倒的な情報量を持った音楽が大河のごどく流れてくるのに、それを受ける自分の許容量が洗面器程度しかないように感じたからです。
「あと二つの楽章しかない。」

 第三楽章。最初の音が響いた瞬間、突然ホールが薄暗くなったような錯覚に陥りました。その分厚くしかも清澄な響きがそう感じさせたのでしょう。そして音楽は次第にシンバルの響きへと登りつめ、そしてひいていきました。この時長く舞台上に垂れている指揮者の影を私はじっとみつめていました。あの時間はほとんど「祈り」のように感じられました。

 第四楽章。まさに激烈かつ壮大な演奏でした。とくにコーダ、巨大な音楽そのものが突然「立ち上がり」、ホール全体を見下ろすかのように鳴り渡ったです。それはベームがたたき出し、ムラヴィンスキーがひっばりあげるようなものに対し、オケを下から根こそぎ持ち上げるような感じの巨大さでした。(特にトロンボーンの巨大な響きは空前のものがありましたが、残念ながらテレビ放送ではそれがほとんど飽和した音として響き、まったく音そのものが入っていませんでした。)

 演奏終了後、激しい歓声と拍手が鳴り響きましたが、その時自分は座席に座ったままじっとしていました。それは完全に圧倒されたという感覚、自分がこの演奏の多くを受けきれなかったという無念さ、そして「音楽は完成した瞬間に消滅するという」という現実をあらためて痛感したからでした。指揮者は何度も舞台に呼び出され、最後は一人でスタンディグオベーションに応えていました。この時誰か一人が舞台をかけ上がりヨッフムに握手を求めました。ホールの舞台手前は階段上になっていたので、あがろうと思えばあがれたのです。そしてその後次々と握手をもとめる人達が舞台をかけ上がっていきました。 その後ヨッフムは舞台を去りホールから人も去っていきましたが、私はまだその時もホール内を呆然と見渡していました。それはまだホールのあちこちから感じられる、今消えたばかりのばかりの響きの余韻のすべてが消えうせ
るまで、それをできるかぎり見届けようと思ったからです。

  この公演たしかにオケに実演におけるミスがなかったわけではありません。が、自分にとってあの公演は生涯最高のもののひとつなっています。今でもNHKホールに行くと、たまに三階後方からホール内全体を見つめることが正直今でもあります。ある種の無念さも感じてではありますが。

この後、私は19日にある横浜でのオール・ベートーヴェン公演のチケットを急遽購入しました。そしてこの公演もまた忘れ難いものとなりました。(ここで当日券が手に入るということがこの公演の当時の人気がおわかりになるかと思われます。ブルックナーのFM生放送があったにもかかわらずです。)


9月19日:神奈川県民ホール

ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第7番


 この演奏もまた手ごたえ充分のやや重心低めの演奏で、遅めのテンポで重厚壮大にすすめられたベートーヴェンでした。(この時の1曲目が私は「コリオラン」ト思っていたのですが、あとで記録をみると「エグモント」になってました。ただちょっと…)ヨッフムの演奏はこの日のものも含め、FM等で聴くと人によって遅すぎると感じられるようですが、実際にその場で聴くと、音楽の密度が濃く内容が詰まりきっているため、それを活かすため必然的にテンポが遅くなったような印象を強く受け、遅すぎるとも不自然ともまったく感じることはありませんでした。


●ヨッフムの思い出
http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page176.html


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