演奏会雑録帳
2001年以前に行った演奏会の感想です。本体記事と重複してるものもあります。
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エフゲニー・スヴェトラーノフ&ソビエト国立交響楽団日本公演(1978)
(この項目は他サイトの拙稿を2009年6/26に加筆改定したものです)

 スヴェトラーノフは1968年の初来日以降2000年に至るまで何度も来日を果たしているが、その中でも1990年のチャイコフスキー交響曲全曲演奏会や1989年のボリショイオペラとの来日公演と並んでいまだ語り草となっているのが、1978年自身三度目となる来日公演。当時スヴェトラーノフ50歳。今回はこの公演のDVDをとりあげます。

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DVD番号 : NSDS9489
発売元 : NHK エンタープライズ

(このDVDは一般の方からの寄贈素材をマスターにしているということですが、画質も音質も自分の予想よりもずっと良好なものでした。)

 ソビエト国立交響楽団が1968年に4年ぶり2度目の来日公演は、当時とてつもない反響をまきおこしました。当時39歳だった初来日の指揮者スヴェトラーノフによる、ストラヴィンスキーの「春の祭典」がそれでした。前日の午後4:30に横浜港にハバロフスク号で来日したばかりにもかかわらず、この演奏は「激烈極まる強大な演奏」「講堂をゆるがす演奏」と形容され、その見事なアンサンブルとともに圧倒的な賞賛をうけました。(当時NHKがこの来日公演の「マンフレッド交響曲」を録音していました。) その後、このコンビは72年に来日しましたが、この時はオケのメンバーをかなり入れ替えた直後らしく、平均年齢35歳というものでしたが。多少オケが過渡期にあたっていたらしく、それほどの大きな話題を与えるまでにはいたりませんでした。

ですが、このコンビによる3回目のこの1978年公演は、指揮者自らが記憶に残るといったほどの大規模公演で、第2回ロシア・ソビエト音楽祭の一環として行われました。モスクワ放送合唱団、ピアノのペトロフ、そして作曲者のタクタキシヴィリやフレンニコフも同行し、自作の指揮やピアノを受け持ちました。

この公演は10月11日から30日にかけておこなわれましたが、最大のピークは、20日と21日のNHKホールでの公演でした。そしてNHKで放送された前述したこの21日の演奏会はたいへんな演奏となりました。自分はこれを後にNHKのTVとFMでそれらと接することとなります。

(因みに「悲愴」と「森の歌」がいっしょに放送された時、自分はこれを当日まで放送されることをまったく知らず、午後七時のニュース前にその日の夜の放送の宣伝として、スヴェトラーノフが「森の歌」を指揮しているシーンが放送されているのをみて初めてそれを知ったのですが、これがなかなか強烈な演奏をしておりまして「こりゃたいへんことになってるな」ということで、急遽観ることにしたものでした。それ以前にFMでもその凄まじい演奏を聴いはいたのですが、視覚的な衝撃はそれをうわまわるものがありました。)


10月21日:NHKホール
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
ショスタコーヴィチ/オラトリオ「森の歌」


前半の「悲愴」は1時間近くかかる巨大かつ凄絶なかぎりをつくした演奏で、第一楽章から尋常でない音楽へののめりこみと、その音楽の重さをオケが必死にささえ、木管など木霊が飛び散っていくようなささくれだった音を吹奏するような緊急事態。オケが随所に綻びをみせながらも必死で音楽に食らいついている。特に展開部の怒号のような響き!まるでブレーキの壊れたダンプカーが地獄の底に向かって突っ込んでいくかのよう鋭い切れ味を伴った猛烈なアッチェランド。そしてその最後にあらわれる、それらすべてを呑み込むような、怒涛のごとき巨大な津波のような大リタルダント。とにかくそれらすべてがあまりにも凄まじい。

第二楽章は意外なほど軽やかだったものの、第三楽章はまさに驚天動地のド迫力。行進曲後半ではスヴェトラーノフお得意の、音の流れが出来ると直立不動のまま指揮台で目配せだけでオケを指揮するポーズまで出て、まさに圧巻。場内からわずかながら拍手もおきていた。(スヴェトラーノフはそれをきらい左手で制するようなポーズをみせていた)だがさらに凄かったのは終楽章。

これを慟哭と言わずして何と言うべきか!もはや音楽が阿鼻叫喚の世界にまで突入しているし、後半の音楽の没入の仕方はスヴェトラーノフ史上空前絶後ののめり込みと抉りこみをみせ、音楽とともにチャイコフスキーの深遠の限界にまで沈み込んでいこうとしているようだ。しかも随所に聴かせる激しい音楽の押し出しがまるで怒号のように鳴り響く。慟哭と怒号が交錯する、こんな極太な凄絶の限りを尽くしきった「悲愴」は少なくとも自分は聴いたことがない。

ソビエト国立響の感情の爆発もまた凄まじく、たしかにとんでもない音が随所に飛び出したりしているが、それがどうしたというくらいの、とにかくなりふり構わぬ演奏が行われている。かつて吉田秀和氏が「墓石を揺るがす」と形容した72年の「悲愴」をうわまわるのではないかと思われるほどの、指揮者渾身の、それこそあらんかぎりの思いの丈のすべてをぶつけ、そして叩きつけたような凄絶の限りをつくしたその音楽を、オケがこれまた渾身の描ききりをみせている。

この演奏、唯一の心残りは最後の拍手の出。できればスヴェトラーノフもそうだっただろうが、もっとじっくりと最後の余韻を聴いていたかったけど、残響の豊かではないホールに育てられた国民の悲しさ。この当時はそういうことなかなか望めなかったのだろう。

ただそれでもこの「悲愴」の凄さと素晴らしさは無類で、これが実演で聴けた方には本当に羨望を禁じえないものがあります。しかしそれにしても正直これでまだ前半とはとんでもない演奏会だ。

(私事で恐縮ですが、自分はこの公演とスイトナーとベルリン国立歌劇場によるブルックナーの交響曲第7番との二者択一に当時迫られていた。このため泣く泣くスイトナーをとったのだか、今考えるとどちらをとっても泣かねばならなかったことを思うと、これはもうしかたないことだったのかもしれません。)

さて後半の「森の歌」は一転して豪麗ともいえるほどの規格外な超弩級演奏で、終曲の舞台袖にいた金管の別働隊を含めた最後の音など、どこまでひっぱるのかというくらい、なりふりかまわぬ長大なものとなり、途中息つぎをしながら吹きつづける奏者がいたのではないかというほどのものとなりました。それは指揮者が「この曲とともに死んでやる!」というくらいの咆哮ぶりで、これを聴いて何も感じない人間などこの世にいるだろうか?というほどの恐ろしい決め付けをしたくなるほどの、とにかくとてつもない演奏でした。
(またここでのスネギリョスのティンパニーが、巨人の鉄槌と表現したくなるほどの物凄い音を一音一音、それこそちょっと陳腐な表現で申し訳ありませんが、「魂を込める」ような音を出していたのがこれまたどうしようもないくらい凄かった。)

この時の演奏は、前記した68年の「春の祭典」以上ではないかと思われるほどの嵐のような圧倒的な興奮を、会場だけでなくTVやラジオで接した人々の間にも巻き起こしました。放送翌日自分も知人に「あれは異常だろ!」といって語り合ったものでした。また別の日にこの公演のことを「NHKホールで去年はムラヴィンスキーの5番。そのほぼ一年後にスヴェトラーノフの悲愴。ほんとに自分はついている。」と話している方を演奏会場でみかけたものでしたが、正直「そうです。あなたはほんとうについています。」とこちらも思ったものでした。

ところでこの時又聞きではありますが、演奏終了後のあるエピソードが自分は心温まるものを感じたものでした。それは「森の歌」の演奏に参加した、東京荒川少年少女合唱隊のことです。演奏終了後、オケの合唱も全員起立して拍手を受けているのですが、ただでさえ小さな児童のまわりを体格の大きな外国人が囲んだような配置となっているため、起立した瞬間児童合唱団の姿が埋没してしまうかんじになってしまいました。これに気付いたスヴェトラーノフは児童合唱団から二人のメンバーを招き、指揮台の上に立たせて、聴衆からの拍手をうけさせていたとのこと。この事柄がいまでもとてもスヴェトラーノフの人柄をうかがえるエピソードとして印象に残っています。因みにこのDVDではそれとはまた違った、じつに心温まるシーンが収録されています。

この指揮者自身も強く記憶に残っているという1978年来日公演。その中でもある意味伝説と化している「慟哭の悲愴」と「超弩級の森の歌」。たしかにオケはその異常な雰囲気に巻き込まれてか、あちこちいろいろと、とっちらかった音を出してはいますが、ここまで「音楽とともに死んでやる!」といった壮絶な演奏はそうそう聴けたものではありませんし、おそらくスヴェトラーノフ録音中でも最も壮絶かつ凄絶な限りを尽くしきった演奏といえるでしょう。

ただ今回のDVDをみていると、にもかかわらずスヴェトラーノフがどんなに音楽が激しくなっても、自己に対して妙に冷静な面があらわれていたのも印象的で、こういうところにこの指揮者の一種の複雑さをみるおもいがしたものでした。

この放送終了後以来、このときのLPはでないか、CDは出ないか、DVDは出ないか…と、30年間待ちに待ったものでした。このDVD化を実現させた多くの関係者の皆様、特に今回のこの演奏会のマスターをNHKに提供し実現に最大の貢献をされたF様には深く感謝の意を表します。

最後に、この頃のスヴェトラーノフはまだ指揮棒をときおり使用しており、また指揮台の上の扇風機も後年の赤いものではなく、白く横長の大きなものでした。



1978年ソビエト国立交響楽団来日公演
(指揮者:エフゲニー・スヴェトラーノフ、ウラディミール・ヴェルビツキー、オタール・タクタキシヴィリ)

10月11日:神奈川県民ホール/スヴェトラーノフ
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
ショスタコーヴィチ/森の歌

10月12日:フェスティバルホール/ヴェルビツキー
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月13日:フェスティバルホール/スヴェトラーノフ
チャイコフスキー/交響曲第6番
スヴィリドフ/悲愴オラトリオ

10月14日:福岡市民会館/スヴェトラーノフ
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番(P/ニコライ・ペトロフ)
ショスタコーヴィチ/森の歌

10月15日:熊本市民会館/スヴェトラーノフ
ムソルグスキー/ホヴァンシチナ、前奏曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番(P/ニコライ・ペトロフ
ショスタコーヴィチ/森の歌

10月17日:福島文化センター/ヴェルビツキー
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

10月18日:岡山市民会館/ヴェルビツキー
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月19日:名古屋市民会館/スヴェトラーノフ
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
シチェドリン/ピアノ協奏曲第2番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月20日:NHKホール/スヴェトラーノフ
タクタキシヴィリ/グルジアの歌(この曲のみ指揮/タクタキシヴィリ)
スヴェトラーノフ/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

10月21日:NHKホール/スヴェトラーノフ
チャイコフスキー/交響曲第6番
ショスタコーヴィチ/森の歌

10月22日:長岡市立劇場/ヴェルビツキー
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月24日:八戸市公会堂/スヴェトラーノフ
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

10月26日:札幌厚生年金会館/ヴェルビツキー
グリンカ/ルスランとリュドミラ、序曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月27日:厚生年金会館/スヴェトラーノフ
フレンニコフ/交響曲第3番
フレンニコフ/ピアノ協奏曲第2番(P/ティホン・フレンニコフ)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月28日:足利市民会館/スヴェトラーノフ
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番

10月30日:埼玉会館/スヴェトラーノフ
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(P/ニコライ・ペトロフ)
チャイコフスキー/交響曲第6番
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ジュゼッペ・シノーポリ&ウィーン・フィルハーモニー日本公演(1992)
今回ご紹介するDVDの公演にはじつはちょっと複雑な印象をもっている。

この公演はウィーンフィルの創立百五十周年記念ツアーとして行われたものの一環でして、当初はバーンスタインによるものとして予定されていたのですが、1990年にバーンスタインが急逝したためこの公演はカルロス・クライバー指揮により挙行されることとなりました。

初のクライバーとウィーンフィルの組み合わせによる来日ということで、このクライバー四年ぶり五度目の公演の人気はたいへんなものがありました。ですが来日前に突如クライバー急病のため来日不可、指揮者がシノーポリに変更となってしまいました。(この前月のテンシュテットとロンドンフィル公演も、来日後テンシュテットが体調不良に陥り指揮不能の為緊急帰国ということがありました。)

自分もせっかく電話をかけまくってやっと取ったチケットがパーになったと、当初はガッカリしたものでしたが、曲目がシノーポリお得意のシュトラウスとマーラーという豪華版ということで、これはこれでけっこうよかったかもという気持ちにすぐになり、当日を楽しみに待ちました。因みに自分にとってウィーンフィルは77年のべーム以来じつに15年ぶりの公演でした。

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NSDS12958

3月10日:サントリーホール
R・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

トップにはヘッツエルとキュッヒェルの二人が並ぶというこの顔ぶれもなつかしく、特にヘッツェルは前年ホルライザーの指揮によるバルトークの協奏曲を聴き、この奏者の素晴らしさをさらに痛感していただけに、その顔がおがめただけでもなんか嬉しいものがありました。

冒頭いきなりおそろしくスリリングで、しかも力強い音が鳴り響きかなりびっくり、これは素晴らしいと瞬間思ったものですが、曲が進むにつれその気持ちが少しずつ違和感のそれに変わっていきました。たしかに凄い部分もあるし熱いし、迫力も強い歌いぬきもある演奏ではあるのですが…。

ようするになんといいますか、シノーポリとウィーンフィルのそれがどこかしっくりいってないのです。シノーポリはウィーンフィルとは初来日ではあるものの、決してその関係はここまで少なくないし、シノーポリのデビュー盤となったウィーンフィルとのシューマンの交響曲第2番は、当時なかなかの話題盤となっていました。しかもこの日の公演はこれで来日中同プロ三回目の演奏であるため、練習不足による意志の疎通云々という問題も無いはず。となるといったいこの違和感はなんだろうということになったのですが、どうもそれはトゥッティ以外のところでの、特にその弦の歌いまわしやもっていきかた両者は決定的な考えの違いがあるのではないかと感じられはじめたのです。

つまりウィーンフィルは綿々と歌いぬき、そのフレーズを息長く紡ぎ、そこから劇的なものなどを描いていきたいのに、シノーポリは細かく表情の違う音を積み上げ、それにより感情の陰影や起伏を劇的に描き出そうとしているため、結果的には両者劇的にもっていこうとはしているものの、その過程が相容れないほど決定的に違うためなかなかうまくかみあわない。1969年のショルティとウィーンフィルの来日公演で、ショルティの強引さによりウィーンフィルのよさがでていないという評があったのを、ふと思い出してしまったものでした。

ですがシノーポリは以前バイロイト音楽祭で来日したときに聴いた「パルシファル」におけるそれで、なかなかじっくりとした音楽を聴かせてくれることもあり、決して強引一辺倒の指揮ではないはずなのだが、この日のそれはもう自分の哲学にのってオケを猛烈にドライブしまくっていました。

このDVDでもシノーポリの手数の多い指揮ぶり、それを見ているのか見ていないのか、なんとも微妙な温度差を表情に出しながらその棒についていくウィーンフィルの面々の、そのコントラストがなんともいえないものをみせています。結果的にはかなりシノーポリよりの音楽が形成されていたのですが、随所にウィーンフィルらしいしなやかさも表出されている演奏となっています。ただどちらにとっても会心とは言い難い演奏であったようで、オケの面々からもその雰囲気が伝わってくるように感じられました。

ただしこの演奏。これは決して凡演というわけではなかったような気がしますし、ある意味指揮者とオケの激しいせめぎあいの結果おきた演奏という気がします。そしてそれ以上に、もしこの両者がこの曲の解釈でもっと時間を割き、腹を割って話し合い、納得できる状況まで音楽を推し進めていたら、これはとんでもないほどの超名演になったのではないか、もしくは今回のこの公演そのものが、この組み合わせが後々とんでもないほどの凄いものになっていく可能性を秘めた、ひとつのきっかけとなるはずのものではなかったのかという気が、今回このDVDから強く感じたものでした。

ですがこの公演後の同年夏にはコンサートマスターのヘッツェルが事故で急逝。(当時来日していたウィーンフィルのあるコンサートマスターは、この一報を練習会場で受けたところ「おそろしいことが起こった!」と絶句し顔面蒼白となり震えていたとのことでした。)そしてシノーポリも2001年公演中に急逝されるということで、その後の超名演誕生、そしてより凄いほどの組み合わせへの発展の可能性を幻としてしまいました。

当時はいろいろと言われた賛否半ばしたような公演でしたが、今こうしてみるとほんとうにいろいろと興味深いものが感じられるものがありますし、当時46歳だったシノーポリの多様にして激しいまでの曲への斬りこみは、これはこれで圧巻なものがあります。

因みにシノーポリは健在であれば現在(2009)63歳。やはり早すぎます。



3月5日:大阪フェスティバルホール
R・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

3月6日:大阪フェスティバルホール
シューベルト/交響曲第7番ロ短調「未完成」
ブルックナー/交響曲第7ホ長調

3月7日:名古屋市民会館
R・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

3月9日:NHKホール
R・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

3月10日:サントリーホール
R・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

3月12日: NHKホール
シューベルト/交響曲第7番ロ短調「未完成」
ブルックナー/交響曲第7ホ長調

3月13日: NHKホール
シューベルト/交響曲第7番ロ短調「未完成」
ブルックナー/交響曲第7ホ長調
ラファエル・クーベリック&チェコフィルハーモニー日本公演(1991)
クーベリックの1991年の来日公演は自分にとって特別なものがあります。それは1975年にまでさかのぼることとなります。

1975年クーベリックはバイエルン放送響とともに十年ぶりの来日を果たしました。この頃のクーベリックはドイツ・グラモフォンでもカラヤンやベームとならんで売り出されていた指揮者で、音楽雑誌でグラモフォンの広告をみると、よくこの三人の顔写真が並んでいたものでした。

当時のプログラムは四種類。
(1)
モーツァルト:交響曲第38番
フォルトナー:「血の結婚式」間奏曲
ベートーヴェン:交響曲第7番

(2)
スメタナ:わが祖国

(3)
ワーグナー:タンホイザー、序曲
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容
ドヴォルザーク:交響曲第8番

(4)
マーラー:交響曲第9番
モーツァルト/交響曲第38番
フォルトナー/血の結婚式、間奏曲
ベートーヴェン/交響曲第7番

というもので、正直たまらないものがありましたが、同時期にムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル、ブーレーズ指揮BBC交響楽団が来日。当時はいろいろな理由でこの中からの三者択一を迫られたため、考え抜いた末今後再来日が一番可能性として危険な病弱かつ最年長だったムラヴィンスキーを選んだものでした。

このときムラヴィンスキーだけTVやラジオにおける放映放送がなく、他の二公演は放映放送があったため、当時一応OKと思っていたのですが、その後この決断が一転大裏目となってしまいました。ムラヴィンスキーはその後二度来日したものの、ブーレーズもクーベリックもその後来日が途絶え、しかもクーベリックはその後バイエルン放送響を退任、指揮活動を引退してしまったのですからたまらない。このときほど自分の判断の甘さを恨んだことはありませんでした。

それから月日が経ち意外な事態に驚くことになりました。1989年のビロード革命に共産党体制は崩壊、これを機にクーベリックがチェコに42年ぶりに帰国、1990年の「プラハの春」音楽祭でチェコ・フィルを指揮してのスメタナの「我が祖国」で指揮者としてついに復活したのです。その姿はTVで放送され、さらに後日CDやビデオも発売されました。(あとこれと前後して野外広場でチェコの三つのオーケストラが合同で「わが祖国」を演奏したときの指揮台にもクーベリックは指揮をしていました。)

このときのクーベリックの指揮はじつに堂々としたものがあったものの、その想像以上に老いた姿に軽いショックも覚えたのも事実でして、このためクーベリックの復活はあくまでも遠い国での一時的なお話であって、来日などまったく予想も想像もすることはありませんでした。

ですが翌年。「音楽の友」の巻末にあった来日演奏家の紹介におけるチェコフィルハーモニーの項に、クーベリックの顔が掲載されていたことで一気に状況は変わってしまいました。クーベリックの日本での公演はたった二回。おそらくこれが最後の来日…というより、こちらとしては16年間抱き続けていた後悔の念を払拭する最初で最後の機会ということで、通常のチケットではなく、万難を排するため先行して発売された他のチェコフィル公演との全五公演セット券という6万円以上するチケットを購入して当日を迎えました。(因みにこの公演はクーベリック、ノイマン、ビェロフラーベクというチェコフィル指揮者三代というものがひとつの売りでした。)

演奏会当日川崎に立ち寄ったところ、なんと町全体が停電にみまわれるという大事故がおき、開演時刻に間に合わないのではないかという緊迫した状況に見舞われたりしたものの電車の運行には支障がなくホールに無事到着。だがそこでは自分以上に緊迫した状況におかれた人たちが「チケットありませんか」と必死の形相で連呼していました。この人たちの気持ちはほんとうに痛いほどわかるがこちらとしては何にも手を貸すことができない。このためちょっと重たい気持ちでホールに入ったものでした。(しかもあとで当日一階席の一部に招待席と思われる場所にそこそこ空席があったということを聞き、さらにいたたまれなくなったものでした。) ホール内に入るとちょっと異常ともいえるような熱気といいますか、入れ込んだような出来上がり的雰囲気にのまれたのか、自分自身もかなりテンションが上がった状態で着席。そしてついにクーベリックの実演を迎えることとなります。これ以降は今回ご紹介するDVDをみながら当時のことを回想しつつ話をすすめていきたいと思います。

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1991年11月2日土曜日
午後六時開演 サントリーホール


スメタナ/わが祖国:全曲

ホールに入りまず目に入ったのが指揮台の前に置かれた二台のハープ。自分はこの光景に荘厳かつ、言葉ではちょっと表現がうまくできないのですが、とにかく強く心をうたれるものを強く感じ、今日の演奏会はおそらく特別な演奏会になるだろうという予感がしたものでした。

開演時間となりオーケストラが着席。配置はクーベリックが好んで使用する対抗配置。その後クーベリックが登場となったのですが、出てきた瞬間、一年前にテレビでみたときよりも若返ったという印象を強く感じました。おそらく1990年以降におきた一連の事柄がクーベリックを若返らせたのだろうと、そのときは思ったものでした。

冒頭のハープの気高くそして万感の想いをのせた響きも素晴らしかったのですが、その後続いて奏でられた弦の響きがまたとんでもなく素晴らしく、透明かつ清澄、しかも清水が滴るほどのその瑞々しさと、ホールの隅々まで染み渡るような響きの絶景に心の底から清められるようなきさえしたほどでした。この弦の響きの素晴らしさは全曲を通じて保持され、特に「モルダウ」の月光と妖精の部分や、「ボヘミアの牧場と森から」の冒頭からしばらくして現れる弱音によって奏でられる弦の繊細な絡みなどでは、もう音楽遺産とさえよびたくなるほどのものがありました。(それにしてもいくら管楽器が咆哮しても弦の響きも伸びもまるでかき消されることがない。「弦のチェコ」の真髄をこのとき聴いたような気さえしたほどでした。)

クーベリックは対抗配置について弦によってオケの前面に壁をつくる」という意味のことを以前語っていましたが、ここではその壁の透明度がどこまでも高く、弦越しに聴こえる管楽器が弦にさえぎられること無く、最高の響きを聴かせてくれているだけでなく、その弦の壁とのコラボレーションがさらに相乗効果を引き出しているようで、もうこの音の響きや色合いを見聞しているだけでも、なにかとてつもなくありがたい福音を聴いていような気がしたほどでした。

それにしてもチェコフィルの音が尋常ではない。その集中力も凄いけど、その奏でている音楽に気持ちの隙がない。まさに一枚岩の響き。しかもそれは強制されたものではなく、自らの内側からわきあがったものによるもので、途中からチェコフィルハーモニーというひとつの音楽体のような感じさえしたほどでした。(因みにこのときの公演パンフレットにはクーベリック自身による、「わが祖国」における弦の奏法についての一例が語られており、気持ち的なものだけでなく、こういうことの積み重ねがこれだけの音楽を形成していったのかとひどく感心したものでした。因みに今このパンフは長期貸し出しをしているため現在手元に無いので何と発言していたかが思い出せないためここに書き込むことができません。ご了承ください。)

この傾向は音楽が進むにつれさらに強固なものになっていきました。それは「モルダウ」終盤のシンバルの響きが一発ごとに強大に鳴り響き、巨大なただしまったく力づくではない迫力を形成していく様、「シャールカ」での宴の場のリズムの冴えと妙、「ボヘミアの牧場」冒頭の疾風のような滑り込み、そして「ターボル」における弦の強固な響きにじつによくあらわれていました。

そして「ブラニーク」における圧倒的な高揚感と、最後に金管を中心としたまさに黄金の響きによって高らかに音楽を歌い上げたその演奏に終演後、「ひょっとして今回が本当の意味で日本における「わが祖国」の初演となったのではないか」という気持ちさえしたほど、この演奏はとにかく圧倒的でした。(ほんとうはやはりたいへんな評判となった、初日の大阪公演を初演日といった方がいいのかもしれませんが…)

演奏終了後万雷の拍手と歓声を受けて何度もクーベリックは舞台に登場していましたが、このとき舞台から退場するはずのオーケストラの何人かがなかなか舞台から脇に入らず、舞台上のクーベリックをずっと目に焼き付けようとするかのようにしていたことが今でも昨日のことのように覚えています。このような光景はこの三年前のテンシュテットの日本公演初日以来で、オーケストラにとってもこの公演がいかに特別なものであったかをうかがい知ることができたものでした。

それにしても指揮しているクーベリックがじつに若々しい。「その後姿がフルトヴェングラーのようだ」といわれた情熱的な指揮姿も健在で、来日はともかくこれならしばらくは指揮活動を継続できるのでは?と思ったものでしたが、当のクーベリックはそうは思っておらず、来日時のインタビューで「次はベルリンフィルとどうですか?」という質問に、質問者に次回のベルリンフィルの来日時期を聞いたところ、そこまでの時間は無いだろうという、ちょっと意味深な発言をされていました。

たしかに今この映像をみると、演奏終了後急速にクーベリックがやつれていくようにみえたり、やはりクーベリックの体調そのものは現役を退く以前と同じではなかったことが、今になって改めて痛感させられたものでしたが、それでもあれほどの指揮ができたことに、正直大きな感銘と感動を覚えたものでした。

因みに今回の映像は終演後延々と続くスタンディングオベーションをかなり長時間収録しています、ふつうでしたら正直あまりこういうのは必要ではないような気がするのですが、ご存知のようにこれがクーベリック最後の指揮 (シカゴ響とマーラーの交響曲第9番を指揮する予定もあったのですがこれも結局キャンセル、井上道義氏が代わって指揮台に立ちました。) になったことを思うと、これはこれでひとつのドキュメントとしてみるべきものなのかもしれません。(因みに自分もこのときスタンディングオベーションをしていますが、一階席後方にいたためこの画面には映っていません。)

こうしてこの特別ともいえる演奏会は終了しました。この翌日には同ホールで初来日のビシュコフがパリ管とベートーヴェンとショスタコーヴィチの5番というプロで、超ド迫力の名演奏を展開していきましたが、やはりこの前日の演奏はそれにもかかわらずまったく印象も感銘も薄れることはなく、それは今日現在までに至っています。

じつは今回自分はこの公演を初めて映像でみました。じつ当公演後のTVでの放送はなぜか「怖くて」みることができなかったのです。それがなぜかは今でもわかりませんが、今はそういうこともなくこの公演を懐かしく鑑賞しています。当時は「『わが祖国』なんて選曲に能が無さ過ぎる、どうせやるならマーラーの交響曲等をやるべきだった。」という厳しい声もあったようですが、今こうしてこの公演をみると、この演奏が行われ聴かれ語られ、そして遺されたということを今は素直に感謝すべきだと思います。

尚今回のDVDの解説の歌崎さんですが、書いていることはそんなに目新しいことではありませんし当公演に対する文量もそんなにはないのですが、歌崎さんのクーベリックに対する気持ちが随所に感じられ自分としては好感がもてました。映像がこれだけ圧倒的だとむしろ解説はこういう雰囲気のものの方がよいのかもしれません。

最後にやはりこのDVDにも当公演の全貌が記されていません。そろそろちゃんとこういうことは解説書に付録として付けてほしいなと思う今日この頃です。

1991年チェコフィルハーモニー日本公演
指揮 ラファエル・クーベリック、ヴァーツラフ・ノイマン、イルジー・ビェロフラーベク


10月27日:シンフォニーホール/クーベリック
スメタナ/わが祖国

10月28日:佐賀文化会館/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

10月29日:熊本県立劇場/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(イーゴリ・アルダシェフ)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

10月30日:鹿児島文化センター/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月1日:サントリーホール/ビェロフラーベク
ベートーヴェン/レオノーレ序曲第3番
モーツァルト/協奏交響曲
ブラームス/交響曲第1番

11月2日:サントリーホール/クーベリック
スメタナ/わが祖国

11月3日:茅ヶ崎文化会館/ビェロフラーベク
ドヴォルザーク/スラブ舞曲、op46-1,3,7
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月4日:高松市民会館/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月6日:聖徳学園/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(イーゴリ・アルダシェフ)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月7日:郡山市民文化センター/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(イーゴリ・アルダシェフ)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月8日:府中の森芸術劇場/ビェロフラーベク
ドヴォルザーク/スラブ舞曲、op46-1,3,7
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月9日:群馬音楽センター/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ブラームス/交響曲第1番

11月10日:武蔵野市民文化会館/ビェロフラーベク
ドヴォルザーク/スラブ舞曲、op46-1,3,7
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(イーゴリ・アルダシェフ)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月12日:オーチャードホール/ノイマン
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ドヴォルザーク/交響曲第8番

11月13日:東京芸術劇場/ノイマン
ドヴォルザーク/交響曲第7番
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月14日:宮城県民会館/ビェロフラーベク
ドヴォルザーク/スラブ舞曲、op46-1,3,7
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(上村昇)
ドヴォルザーク/交響曲第9番

11月16日:名古屋市民会館/ビェロフラーベク
ベートーヴェン/レオノーレ序曲第3番
ベートーヴェン/交響曲第9番

11月17日:岡山シンフォニーホール/ビェロフラーベク
ベートーヴェン/レオノーレ序曲第3番
ベートーヴェン/交響曲第9番

11月18日:京都会館/ビェロフラーベク
スメタナ/モルダウ
ベートーヴェン/交響曲第9番

11月20日:大宮ソニックシティ/ビェロフラーベク
ベートーヴェン/レオノーレ序曲第3番
ベートーヴェン/交響曲第9番

11月21日:オーチャードホール/ビェロフラーベク
ドヴォルザーク/スターバト・マーテル

11月22日:グリーンホール相模大野/ビェロフラーベク
ベートーヴェン/レオノーレ序曲第3番
ベートーヴェン/交響曲第9番

11月23日:神奈川県民ホール/ビェロフラーベク
ベートーヴェン/レオノーレ序曲第3番
ベートーヴェン/交響曲第9番

11月24日:柏市民文化会館/ビェロフラーベク
ベートーヴェン/レオノーレ序曲第3番
ベートーヴェン/交響曲第9番

余談ですが、このときチェコフィルハーモニーとの、「第九」と「スターバト・マーテル」で共演するため来日した、プラハ・フィルハーモニー合唱団は、同月に行われた、ベルティーニ指揮ケルン放送とのマーラー交響曲全曲演奏会第三チクルスにおける交響曲第8番に参加。ケルン放送合唱団、南ドイツ放送合唱団、東京少年少女合唱団と共演しました。因みにこのためPブロックすべてを合唱団が使用しての演奏となりました。

ベルティーニ/ケルン放送
11月12日サントリーホール
11月13日サントリーホール
11月14日サントリーホール
マーラー:交響曲第8番

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

オイゲン・ヨッフム&バンベルク交響楽団日本公演1982(DVD)
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オイゲン・ヨッフム/バンベルク交響楽団

[DVD番号/ALTDVD-001]

 ヨッフムは1960年の初来日から1970年に至るまでの足掛け11年間に五度も来日しており、そういう意味では60年代最も日本で御馴染みの指揮者のひとりとなっていたようですが、なぜかそれ以降ピタリと来日が途絶えてしまいました。その間EMIにベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーといった19世紀の交響曲三大Bの交響曲全集を録音し健在ぶりを示してはいたのですが。
(当時口の悪い知人と、当時EMIに全集物を次々と録音し続けていたマルティノンとケンペが立て続けに急逝されたとき、「おいおい次はヨッフムじゃないだろうな。来日もぜんぜんしてないし。」と言っていたほどでした。)

そんな1981年の秋。翌1982年の9月にヨッフムがバンベルク交響楽団を率いて12年ぶりに来日し、ブルックナーの8番を指揮するという情報が入ってきました。8月に前年秋に来日していたカール・べームが86歳で逝去、他にもムラヴィンスキーの来日中止、カール・リヒターやキリル・コンドラシンの急逝などで、多くの日本の音楽ファンが落胆していただけに、この報は多くのファンにとってたいへんな朗報となりました。ヨッフムはこれまでブルックナーを62年に5番、68年に4番と指揮。そして今回いよいよ大曲8番とあいなったのですが、この1982年の公演におけるブルックナーは同曲の日本演奏史上最高のもののひとつと讃えられるほどの超名演となりました。

 ヨッフムの実演は録音とかなり印象の違うものがあります。もちろん録音年と実演時の年齢の差もありますが、やはりこの指揮者も実演で本領発揮をするタイプの典型のようです。ここでは他の頁に書いてるヨッフムについての拙文を多少加筆して書き込むこととします。

 ヨッフムが来る。にもかかわらず当時79歳の巨匠の12年ぶりの来日は、前評判はけっして高くありませんでした。それはこれまたカイルベルトの最後の来日以来、14年ぶりの日本公演となったバンベルク響の知名度の低さというのが原因のひとつでもありました。EMIに録音されたベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲が評判をよんでいたのにもかかわらず。じつは私はこれらの演奏に当時ビンとこず、当初この公演に行く気持ちがなかったのですが、「ヨッフムの実演は凄い。録音と比較してはいけない。」という言葉を耳にし、行くことにしたものでした。

ところで現在発売されているCDは残念ながらそのときの印象とはかなり違うものがあります。かろうじて第三楽章にその片鱗が伺える程度なのですが、今回紹介しますDVDはそれに比べると視覚的なものがあるせいか、より実演時に近い印象をうけました。ただやはりトランペットのやや出すぎたバランスや、中低音弦の生き物のような動きの凄みや、トロンボーンのオケにブレンドされた厚めの響きなどはほとんど聴き取ることは出来ないようですが、カメラそのときそのパートを映してくれていると、その動きで実演経験が豊かな方にはある程度補正していただけると思えるのですが…。


1982バンベルク交響楽団

9月15日:NHKホール
ブルックナー/交響曲第8番


演奏会当日NHKホールは満員となりました。公演が近付くにつれこの偉大な指揮者の名前が次第に底力を発揮したようでした。指揮台には椅子が置いてありベームが82歳でも立って指揮していたことを思うと、「ヨッフムは体調が悪いのか」と、開演前に妙に気になったものでした。この時自分はあえて三階の中央後方の席をとりました。それはこの場所で五年前に、ベーム、ショルティ、ムラヴィンスキーを聴いた場所であり、それらと同一状況で聴いてみたいという気持ちあったからです。

 オケが登場した後、ヨッフムが登場。この時の雰囲気はベームやムラヴィンスキーとの時のそれと違い、ごく自然な雰囲気で登場し万雷の拍手を浴びて登場し、そしてオケに向かってふりむき指揮台の椅子に腰掛けました。

 第一楽章冒頭部。飾り気の無い、それこそ質実剛健な木造建築のような、しかも充分練込まれたような音が鳴った時、正直驚いてしまいました。このようなある意味ローカルとも形容したいような音というのに、この時初めて接したからなのかもしれません。ただそれは最初だけで、すぐこの演奏の持つただならぬ雰囲気と、厳粛な儀式のような趣、そして激しい気迫のようなものに圧倒されてしまいました。また低音弦の刻む独特の弾力感がまた強い緊張感を与えていたことが、今回のDVDをみていて久しぶりに思い出されたものでした。

 第一楽章終了時、ひょっとしたら自分はとてつもない音楽の創造に立ち合っているのではないかという思いがし、突然もの凄い緊張感に襲われました。第二楽章はそのような状態で聴いていたのですが、楽章終了後ものすごく自分が情けなくなってしまいました。というのはこのほとんど圧倒的な情報量を持った音楽が大河のごどく流れてくるのに、それを受ける自分の許容量が洗面器程度しかないように感じたからです。

「なんということだ。しかもあと二つしか楽章がない。」

 第三楽章。最初の音が響いた瞬間、突然ホールが薄暗くなったような錯覚に陥りました。その分厚くしかも清澄な響きがそう感じさせたのでしょう。金管の分厚い咆哮もたしかにありましたが、なぜかとにかく自分にはこの時間がじつに静かに、そしてどこまでも暗くそして澄んだ音楽が奏でられていたように感じられました。

その後音楽は次第にシンバルの響きへと登りつめ、そしてひいていきました。このときの最後の延々と奏でられた壮大な黄昏の音楽。まるでミレーの晩鐘の祈りを思わせるような珠玉のような時間。そしてそれを紡ぐ指揮者の舞台上に長くそして深く垂れた影を私はじっとみつめていました。今回のDVDにも少しですがその影がとらえられていましたが、これを四半世紀ぶりにみられただけでも嬉しかった。

 第四楽章。まさに激烈かつ壮大な演奏でした。とくにコーダ、巨大な音楽そのものが突然「立ち上がり」、ホール全体を見下ろすかのように鳴り渡ったのです。それはベームがたたき出し、ムラヴィンスキーがひっぱりあげるようなものに対し、オケを下から根こそぎ持ち上げるような感じの巨大さでした。(特にトロンボーンの巨大な響きは空前のものがありましたが、残念ながらこのDVDでもそれはほとんど飽和した音として響き、別物に近いものとなっていました。これはマイクの位置の関係もあるのかもしれません。それにしてもトランペットが強調されているのはともかく、中音域から低音域が、オケが激しく咆哮すればするほど、軽いというかやせた響きになっているのがじつに残念。ほんとうにこんな音が実際鳴ってたら、あの終演後の嵐のような歓声など絶対にありえない!ただし唯一終楽章コーダの最後の音のみ、その超ド級の質量感をわずかながら感じさせてくれているのが救いとなっています。)

 演奏終了後、激しい歓声と拍手が嵐のように鳴り響きましたが、その時自分は座席に座ったままじっとしていました。それは完全に圧倒されたという感覚、自分がこの演奏の多くを受けきれなかったという無念さ、そして「音楽は完成した瞬間に消滅するという」という現実をあらためて痛感したからでした。指揮者は何度も舞台に呼び出され、最後は一人でスタンディグオベーションに応えていました。この時誰か一人が舞台をかけ上がりヨッフムに握手を求めました。ホールの舞台手前は階段上になっていたので、あがろうと思えばあがれたのです。そしてその後次々と握手をもとめる人達が舞台をかけ上がっていきました。 その後ヨッフムは舞台を去りホールから人も去っていきましたが、私はまだその時もホール内を呆然と見渡していました。それはまだホールのあちこちから感じられる、今消えたばかりのばかりの響きの余韻のすべてが消えうせるまで、それをできるかぎり見届けようと思ったからです。

  この公演たしかにオケに実演におけるミスがなかったわけではありません。が、自分にとってあの公演は生涯最高のもののひとつなっています。今でもNHKホールに行くと、たまに三階後方からホール内全体を見つめることが正直今でもあります。ただしある種の無念さも感じてではありますが。

 ところで今回のDVDをみて思ったことに、ヨッフムがやはり四年後のコンセルトへボウ公演時よりもずっと若々しく、しかも指揮も大きく情熱に満ち、てきぱきとしていたということです。

もちろん曲のせいもあるのでしょうが、指揮が大きいせいかオケの呼応の仕方も破格に大きなものが感じられました。この五日後に行われた大阪公演での同曲も、同じかそれ以上練りこまれた、至上の演奏が展開されたのではないでしょうか。

この後、私は19日にある横浜でのオール・ベートーヴェン公演のチケットを急遽購入しました。そしてこの公演もまた忘れ難いものとなりました。(ここで当日券が手に入るということがこの公演の当時の人気がおわかりになるかと思われます。ブルックナーのFM生放送があったにもかかわらずです。)


(バンベルク交響楽団/
指揮者:オイゲン・ヨッフム、レオポルド・ハーガー)

9月15日:NHKホール/ヨッフム
ブルックナー/交響曲第8番

9月16日:東京文化会館/ヨッフム
ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第7番

9月17日:聖徳学園川並記念講堂/ヨッフム
ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第7番

9月19日:神奈川県民ホール/ヨッフム
ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第7番

9月20日:フェスティバルホール/ヨッフム
ブルックナー/交響曲第8番

9月21日:名古屋市民会館/ヨッフム
ベートーヴェン/エグモント、序曲
ベートーヴェン/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第7番

9月22日:沼津市民文化センター/ハーガー
モーツァルト/交響曲第38番
Rシュトラウス/ドン・ファン
ブラームス/交響曲第1番

9月24日:習志野文化会館/ハーガー
モーツァルト/交響曲第38番
Rシュトラウス/ドン・ファン
ブラームス/交響曲第1番

9月25日:昭和女子大人見記念講堂/ハーガー
ウェーバー/魔弾の射手、序曲
モーツァルト/交響曲第41番
ドヴォルザーク/交響曲第8番


9/27-29の三日間はハーガーの指揮により
香港のシティ・ホールで公演。

テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

クラウス・テンシュテット&ロンドン・フィルハーモニー日本公演1988(DVD)
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クラウス・テンシュテットの名前を初めて聞いたのは彼の指揮するマーラーの5番のLPが発売されたころで、そのときはカラヤンの後継者のような盛大な謳い文句そこがついてまわっていました。自分はそこになにかレコード会社の誇大広告的な匂いを感じ、あえてこの指揮者を黙殺してしまいました。当然彼の初来日公演(1984年4月)も自分の興味の対象から外れており、他人事のように横目でみながらやり過ごしてしまいました。その後この公演が前評判の期待に違わぬものとなり、特にマーラーがたいへんな評判になったという話を聞いた時、ちょっと次は聞きに行こうかな?という気だけはしました。

その後この公演の評価が高かったこともあり、テンシュテットの指揮でマーラーの交響曲第3番のLPをこの曲が好きだったこともあり初めて手を出したのですが、正直最初はそれほど強い印象を持つ事はありませんでした。

ところでこの日本公演の後、ご存知のとおり彼は大きな病に倒れ、ロンドンPOのシェフの座を降りることとなりました。それからテンシュテットの活動の知らせはかなり断続的なものとなり、ある意味いつ新聞の死亡欄に名前が名前が掲載されてもおかしくないような噂も流れ、そして月日がたっていきました。

 そんな1987年のある日、翌88年10月にロンドンPOが、テンシュテットとビシュコフの指揮で来日するという広告が掲載されました。正直これは実現しないであろうと私は思いました。なぜなら病を患ったテンシュテットの日本公演など不可能と思ったからでした。

翌年初め、テンシュテットが前年暮れの12月13日から18日にかけて、ジェシー・ノーマンとワーグナーの曲集を録音したという話しを聞きました。が、それでも10月の来日は無いだろうという気持ちは変わりませんでした。

 その後同行指揮者がビシュコフからスラットキンに変わり、プログラムが発表され、チケットも発売されはじめました。だがその売れ行きはそれほど好調ではありませんでした。誰もが考えていることは同じでした。最後はスラットキンが全公演を指揮することになるだろうと。ですが状況は徐々に変わっていきました。テンシュテットが久しぶりに指揮台に立ちワーグナーを指揮し、アンコールに「ワルキューレの騎行」まで指揮したいう情報が入り、さらに「本人はきわめて健康を回復し今では室内で軽くジャンプできるほどまで体力がもどった」という意味の記事が紹介されたのです。この時はじめてこの公演は行われるのではないかという気がしたものでした。そうこうしているうちに月日は立ち、公演のある10月を向かえました。この時点で一番危惧された指揮者の変更等の記事が出る気配もなく、来日の準備は着々と進んでいきました。そして中旬にテンシュテットが無事来日したという話しが伝わりました。

 自分はこのとき前回の好評ということもありチケットを入手したもの、じつは当時テンシュテットにはそれほど強い思い入れというものありませんでした。ですがなぜか公演が近づくにつれちょっとした緊張感のようなものを自分は感じるようになっていきました。こうして自分は日本公演初日を迎えることとなりました。

1988ロンドン・フィルハーモニー
10月15日:市川文化会館
ベートーヴェン/エグモント、序曲
Rシュトラウス/ドン・ファン
ベートーヴェン/交響曲第3番

 10月15日(土)の市川市文化会館における日本公演初日の日は、自分にとって今でも忘れることのできない一日となっています。朝起きてまず新聞をみ、公演の指揮者変更等の記事がでてないことを確かめまずホッとし、そしてその後出かけるまで、急にニュースが入るのではないかと、気になってたまらない状態が続きました。夕方会場最寄りの駅で降りた後、とにかくなんともいえない気持ちで会場へ向かいました。会場前に着くとそこには

「クラウス・テンシユテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会」

 という場違いなくらい大きな立て看板が、これまた大きな文字で書かれて立っていました。このほとんど「お気楽」とも思える看板の存在にもかかわらず、「まだ安心は出来ない」という気持ちがとにかくありました。その後会場に入りこれといったアナウンスもなく開演時間を告げるブザーがなりました。この時、突然場内アナウンスが始まった時には死ぬほど驚いたのですが、それは「アラーム付き時計のアラーム解除のお願い」でした。このためすぐに安堵したのですが、このアナウンスが始まった瞬間、会場全体が一瞬凍りついた雰囲気になったことからみて、会場にいる全員が自分と同じ気持ちだというのこのときはじめてわかりました。しばらくしてオーケストラが現われ、そしてテンシュテットをこよなく尊敬する名コンサート・マスター、デヴィット・ノーランがあらわれ、その後チューニングが行われ、後は指揮者の登場待ちとなりました。ですが、この場に及んでもまだひょっとするとあらわれるのは、じつはスラットキンではないのかと、ほんのすこしではありますが思っており、気持ちは「たのむからテンシュテット出てきてくれ」という念でいっぱいでした。この間の会場は異常な緊張状態に陥りました。

 そしてしばらくしてついに舞台にテンシュテットがゆっくりと姿をみせました。この時の会場の凄まじい拍手と歓声は演奏前としては異例なものとなりました。それは死地から生還した一人の人間をたたえる心からのものであったように感じました。拍手がおさまると、テンシュテットは指揮台に上がりそして、譜面台上の楽譜をめくり「エグモント」の指揮をはじめました。それはけっして大きな音ではないものの、きわめてしっかりとした確信にみちた、そして自らの復活を告げる力強い音でした。

 この演奏会は自分の経験したものでも特別なもののひとつとなっています。なかでもホルン6人を2人のトランペットの左に横一列に並ばせた「英雄」は特筆すべきものでした。特に第二楽章。最初の弦が鳴った瞬間、一瞬ぞっとしてしまいました。透明感のあるそれでいて、しかも深淵を覗き込むような、なにか底知れない戦慄のようなものを感じてしまったからです。それにしてもこの時の「英雄」はテンシュテットが自分をこの曲になぞらえているのではないかと思った程でした。これは死地からの生還を果たしたものだけに許される音楽だったのでしょうか。いまでもこの演奏はある意味特別なものとして自分の記憶に深く刻み込まれたものとなっています。

 そして最後にホルン6人が全員で吹奏するという壮大な終楽章もあまりに素晴らしく、未だにこの「英雄」を超える演奏に出くわしたことことがないのではないかと思われるほど、完全に圧倒されつくしてしまいました。

特に終楽章コーダで一瞬テンシュテットが第一ヴァイオリンの方を向き両手を高々と広げ、それこそ巨大の鷲が今まさに飛びたたんという格好をしたそのときの姿、そして演奏終了後のスタンディング・オベーションと、それを見つめながらなかなかその場を立ち去ろうとしないオケの面々の姿は、今でも強く印象に残っています。

 この公演の興奮冷め遣らぬままに迎えたのが今回ご紹介する、この公演の三日後に行われた「ワーグナーの夕べ」における演奏会のDVDです。◎[公演DVD:TOBW-3592]

10月18日:サントリーホール
ワーグナー/タンホイザー、序曲とヴェヌベルクの音楽
ワーグナー/リエンチ、序曲
ワーグナー/神々の黄昏、ジークフリートのラインの旅
ワーグナー/神々の黄昏、ジークフリートの葬送行進曲
ワーグナー/マイスタージンガー、第1幕への前奏曲

 この公演は三日前の異様な雰囲気の中で行われた特別な公演に比べると、ずっと落ち着いた内容となっていますが、それでもそのオケの芳醇な響きと、詩情豊かで人間的な温かさに満ちた演奏の数々はじつに聴き応えのある内容となっています。二曲目の「リエンチ」で聴かれるふくよかかつ密度の濃い弦の豊かな響きなどは何度聴いても感銘を受けてしまいますし、「神々の黄昏」以降の劇的効果満点の曲においていたずらに劇的効果に走ることなく、音楽のもつ興奮と熱気をヒューマンかつストレートに伝えようとするその表現方法にも、自分は感心してしまったものでした。けっきょくこれが自分が聴いた最後の実演におけるテンシュテットとなってしまいましたが、この指揮者の復活を強く感じさせる充実した演奏が行われた演奏会として、こちらも今でも記憶に残る貴重な演奏会となっています。

演奏中の譜面台のアクシデントやアンコールの「ワルキューレの騎行」に至るまで、ほぼ当日の演奏会の全貌が収録されたこの公演のDVD。ほんとうに貴重な記録ということかできるでしょう。

ただちょっと残念なのはクーベリックもそう言われていたのですが、指揮する後姿がフルトヴェングラーに酷似しているといわれたテンシュテットの後姿があまり見ることができなかったということ。公演初日の時は自分の居た席の関係もあってか、けっこうその震えるような指揮が、以前ビデオでみたフルトヴェングラーのそれと似ているところがあり、「なるほど」と感じただけに、もう少しこのあたりのシーンを多く映してほしかったです。
 
 この来日公演で完全復活したテンシュテットは帰国後の12月13日にロンドンのフェスティバル・ホールで、あのEMIからCDにもなった感動的なマーラーの5番を演奏することとなります。その後のテンシュテットはご存知のとおり復活した期間は短かったものの、いくつもの素晴しい録音(特に1993年に録音されたマーラーの交響曲第7番は圧倒的なものがありました。)を後世に残していってくれました。

 クラウス・テンシュテット。実演を聴けたのはたった二度ですが、生涯忘れることのできない印象を残してくれた、最高の指揮者の一人でした。

 最後にひとつ。これはある方のご意見なのですが、「テンシュテットが喉の病で倒れたのはかなり自身のハンディになったのではないか。テンシュテットの指揮をみていると、彼の音楽が形成される練習時の過程において「声や言葉」による指示が他の指揮者よりも大きなウエイトを占めていたと思われる節がある。実際彼の病に倒れる前と後では、オケに対する掌握がやや後のほうが緩くなっている部分が感じられる。88年の日本公演後に行われたマーラーの5番のライブも悪くはないけど、かつてのスタジオ録音よりアンサンブルの仕上げの粗い面がライブ云々の部分を差し引いても多々見受けられる。」というものがありました。じっさいこのワーグナーでも一瞬そういう部分が感じられるところが無いわけでは無いのですが、演奏の気迫と音楽の豊かさがそれ以上に強く印象に残るものがあります。

自分がこの映像に強く惹きつけられるのは、15日における「英雄」の残像だけでなく、この日の演奏そのものにも、テンシュテット渾身の心情吐露のようなものが、些細な傷を補って余りあるほどの大きな感銘をともなって存在していることが大きいです。それにしてもこの映像をみるにつれ「なんで84年の公演に行かなかったのか」と悔やまれてしかたありません。これは音楽を聴く前から勝手に決めつけたことへの罰なのでしょう。仕方ないことです。


1988(指揮者:クラウス・テンシュテット、レナート・スラットキン)
ロンドン・フィルハーモニー

10月15日市川文化会館/テンシュテット
ベートーヴェン/エグモント、序曲
Rシュトラウス/ドン・ファン
ベートーヴェン/交響曲第3番

10月16日:パルテノン多摩/スラットキン
ウォルトン/ポーツマス岬
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(VC/堤剛)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月17日:聖徳学園川並記念講堂/スラットキン
ウォルトン/ポーツマス岬
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(VC/堤剛)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月18日:サントリーホール/テンシュテット
ワーグナー/タンホイザー、序曲とヴェヌベルクの音楽
ワーグナー/リエンチ、序曲
ワーグナー/神々の黄昏、ジークフリートのラインの旅
ワーグナー/神々の黄昏、ジークフリートの葬送行進曲
ワーグナー/マイスタージンガー、第1幕への前奏曲

10月19日:長岡市立劇場/スラットキン
ウォルトン/ポーツマス岬
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(VC/堤剛)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月20日:サントリーホール/スラットキン
ウォルトン/ポーツマス岬
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(VC/堤剛)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月22日:札幌厚生年金会館/スラットキン
ウォルトン/ポーツマス岬
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲(VC/堤剛)
チャイコフスキー/交響曲第5番

10月23日:昭和女子大人見記念講堂/テンシュテット
ベートーヴェン/エグモント、序曲
Rシュトラウス/ドン・ファン
ベートーヴェン/交響曲第3番

10月24日:フェスティバルホール/テンシュテット
ベートーヴェン/エグモント、序曲
Rシュトラウス/ドン・ファン
ベートーヴェン/交響曲第3番

10月25日:シンフォニーホール/テンシュテット
ワーグナー/タンホイザー、序曲とヴェヌベルクの音楽
ワーグナー/リエンチ、序曲
ワーグナー/神々の黄昏、ジークフリートのラインの旅
ワーグナー/神々の黄昏、ジークフリートの葬送行進曲
ワーグナー/マイスタージンガー、第1幕への前奏曲

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